「家族が『早く気づいてよかったね』と言ってあげてほしい」

お笑いの世界だけでなく、コメンテーターや名バイプレーヤーとしても幅広く活躍するダンカンさん。2014年に最愛の妻・初美さんを乳がんで亡くして以来、早期発見の大切さを訴え続けています。 「後悔する人が1人でもいなくなってほ […]

お笑いの世界だけでなく、コメンテーターや名バイプレーヤーとしても幅広く活躍するダンカンさん。2014年に最愛の妻・初美さんを乳がんで亡くして以来、早期発見の大切さを訴え続けています。

「後悔する人が1人でもいなくなってほしい。『検診をしてね』と家族が言ってあげて」とダンカンさん

初美さんとダンカンさんとの出会いは初美さんが19 歳の時。テレビ番組のアシスタントのオーディションに来た初美さんにダンカンさんがひと目惚れし、1990年に結婚。長女美つきさん、長男甲子園さん、次男虎太郎さんに恵まれました。

ダンカンさんに「ママリン」と呼ばれ、家族を大きな愛で包んできた初美さんの右胸に、2005年、乳がんが見つかります。医師に両胸摘出を勧められ、初美さん自身も「いいよ、とっちゃっても」と覚悟を決めた様子でした。しかし「女性だから、大切な乳房が全部なくなるのはつらいだろう」と、ダンカンさんは考え、片方だけ切除することに決めました。その後左胸に転移が見つかります。

「検診しようと言ってあげていれば」

 「乳がんが見つかる前になぜ気づいてあげられなかったんだろう。検診の必要性に耳を傾けず、違う国の事みたいに過ごしてしまった。検診をしようと言ってあげていれば…との悔いが、今も十字架を背負うように残っている」とダンカンさん。「そういう人が1人でもいなくなるよう、検診してくださいと言いたい。この苦しみはこうなった人にしか分からない」と、悲痛な思いを語ります。

「家族を失った悲しみは波紋のように広がり一生消えない。息子が結婚する時も孫が入学する時もママはいない。おいしいものを食べても、これを食べさせたい一番大切な人はいないんだと思うと、食べる意味も分からなくなる」

育メンとしてママの気持ち共有

それでもダンカンさんは、初美さんが亡くなった時高校1年生だった虎太郎さんの弁当を3年間作ったり、部活の野球のユニフォームを洗濯したりと、育メンぶりを発揮。「早起きはつらいし、泥だらけのユニフォームもブラシで汗だくになってこすらないといけない。でも、きれいにするとよりいいプレーができるんじゃないかと思え、ママの気持ちが共有できるのがうれしかった」とも。

「いい女だった。明るくて、大きくて。奥さんで、姉で、友達だった」と振り返るダンカンさん。多くの人に慕われた初美さんの通夜には1500人が参列。闘病中も東日本大震災の時に夫婦で被災地支援に出かけ、東北からも大勢の人が花を手向けに来ました。

ピンクリボン運動に熱心に参加しています

「気づいてあげればという十字架を背負いながら、家族は日々一生懸命生きなきゃいけない。そうなる前に家族が『早く気づいてよかったね』と言えるようになってほしい」とダンカンさんは願っています。

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